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あっという間に、3月も下旬です。


先日2週間の予定で県外で暮らす娘と孫たちがやってきました。
これまでしばしば帰省していましたが、来月からそれぞれ復職、保育園入園になるので、
当分顔見せが出来ないから、というものです。

と、なると、あれもこれもと心置きなく熱烈大歓迎してやらなくてはなりません。
一関市川崎町の「もぐもぐの里」にイチゴ狩りに行ってきました。
↑↑↑
真っ赤に熟して、おいしそうに光っているイチゴでしょ。


孫たちとじゃれあっていたら、長年の友人が町会議員に立つというではありませんか!!
突如、孫たちのお相手と選挙準備のお手伝いが重なってしまいました。
忙しい×忙しい

がきんこたちが帰り、私は選挙モード一色です。

仕事ですか?
ツレアイが黙々とやっていますから、大丈夫です。
私は受注・納品・集金など外回りと裂の取り合わせをちょこちょこやりながら、
今しばらくは仕事をしているフリ、です。

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明日から3月というのに、なんという天候でしょう。
関東地方ではこの時期では観測史上初めての積雪とか。

それでも午後からはお日さまが顔を出して、障子に明るい光が射しています。
一気に春めいた部屋の中。 そして、ふっと、気付きました。

床の間はお正月用として飾った「竹虎図」が2ヶ月もかけっぱなしでした!
あと数日でひな祭りなのに。
 

私としたことが・・・
さっそく「立ち雛」の軸と交換しました。
お雛様を出すのは年々面倒になって、この数年は軸のみです。
これもせっかく出したのですから、しばらくかけておきましょう。

わが家に、早く仕舞わなければ行き遅れる心配な人はいません。
一人娘は親の予想に反してさっさと結婚してしまいましたし、
ふたりの孫はどちらも男。
張り合いのない3月3日だからきっと忘れてしまうのでしょう。

かといって、5月の節句に気合を入れているわけでもなく、
ただのモノグサと物忘れの結果なんですけど。


窓の外は相変わらずの雪景色。
天気予報は連日の「低温注意報」。

お日さまが顔を出して、いくらか地面の土やアスファルトが表れたかと思えば、
空からチラチラ、ボタボタと落下する白いものあり。
もういい加減にしてよ、と言いたくなります。

表具屋は室内作業ですから、ほかの職人さんたちのように
雨や雪が降ったから仕事にならない、というわけではありません。

しかし―

水で溶いた糊を紙や裂に塗って乾かす、「湿」と「乾」を繰り返していくのが仕事ですから困ります。
この寒さで、糊張りがなかなか乾きません。

ならば、ストーブをじゃんじゃん焚いて強制的に乾かせば? 
ま、たしかに短時間でパリッと乾くんですけどね。

でもそんな促成作業はあとから歪みが出て、けっきょくは泣きを見るのでご法度です。
じっくりと自然乾燥させたものがよい仕上がりになるので、
ここはじっと我慢の子。(←懐かしいフレーズ)

そんなふうにしてやっと完成させたフスマを納入する段になって、
さあ、クルマに積み込みましょうと外を見ると、いつのまにか雪が舞っている!!
天候の回復を待って、「それー、今だー」と、お客様宅に向かいます。

けれども晴れていても、安心はなりません。
解けた雪が屋根から大きなしずくになって落ちてきて、
あやうく新しいフスマを濡らしそうになりますから、油断もスキもないのです。
まずは上、下、周りと状況を確認して素早く搬入。
ツレアイ「ほい」 私「はい」 の連携が必要です。

早く本物の春が来てほしい、と切に願う今日この頃です。





一昨日、金曜日お昼近くの中尊寺本堂前の山門です。
寒波による雪にもかかわらず、観光客のみなさんが訪れてくれています。


例年ならば、まったくのオフ・シーズンのこの時期ですが、世界遺産登録のおかげか、
たぶんそのおかげでしょう、目下、平泉はフル・シーズンです。


個人のお客さん、10人前後のグループ、そして顔つきの似通った言葉の違う小団体など、さまざまです。
こんな雪と寒さの中、よくお出でくださいましたと、ねぎらいたいほどです。


日本人の若いカップルでしたが、靴に縄を巻いていました。
なんか、懐かしい風景。そしておしゃれな服装とのギャップがおかしくて笑える!


思わず「めずらしいですね」と声をかけたら、
「下のお店の人が、滑るから巻いていった方がいい、とくれたんですよ」
きっとふたりは遊び心で巻いたんでしょうけど、こんな小さなことでうれしくなっちゃいました。




 このところ連日、真冬の厳しさが続いています。まさに大寒、参りました。
そんな中、今日は奥州市江刺区の中心地、岩谷堂に行ってきました。

午前中に出かけたので路面は圧雪状態でツルツルです。
もちろん運転はツレアイの担当。
目指すは蔵のカフェ「楽庵」。

こちらに今月中、盛岡の書家、伊藤康子さんの作品が数点展示されているというのでやってきたのです。あと数日で見逃し、というところで危うくセーフでした。

康子さんは「筆があそぶ、文字がおどる。」というキャッチ・フレーズ(?)で、いつもとても楽しい作品を生み出しています。私はどれも大好きです。うちの娘の結婚式に使ったウエルカム・ボードも彼女の揮毫です。楓林堂HPギャラリー2のウエルカムボードがそれです。見てくださいね。

仙台や盛岡での個展はなかなか駆けつけられませんが、江刺ならばと楽しみにしていたのです。楽庵さんのインテリアによくなじんで、今回もまたすてきな作品ばかりでした。
アズキの入った楽庵ラテもおいしかったです。




あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


振り返るのもつらい、けれども決して忘れてはならない1年が終わり、新たな年が始まりました。お正月早々から、ちまたではマヤ文明の予言が喧伝されて人心の不安を煽っていますが、振り回されることなく一日一日をだいじに生きて行きたいものです。


さて、ご覧ください!!
年末ギリギリ、ツレアイによるみごとなラスト・スパートで、遂にわが家のフスマが張り替わりました。青畳と新しいフスマとで、築22年目の中古住宅の座敷が見違えるようです。(手前味噌?)


今日の写真はフスマがメインなので、床の間の掛け物は半分しか見えてませんが「竹虎」と書かれた三段表装です。竹林に虎の図はよく見る画題ですが、これはその筆文字バージョンなのでしょうか? 「竹」の字の縦の2線が異常に長く延び、その間から「虎」がぬっと出てきているようなレイアウトで、絵のような字だなあ、と感心してみています。


いつものお正月ですと「高砂」の絵の軸を飾るのですが、今回は暮にお客さまのお宅でお慶び事(百歳のお祝い)があって、お貸ししたまま年を越しました。これもよそ様のめでたいことにつながっているようで嬉しいものです。


「ときどきブログ」とはいえ、今年はもう少し回数を増やしたいと思っております。
 ↑↑↑ いつもくじけてしまう新年の抱負ですが、あきれずにお付き合いください。






思いもしなかったことが次々に起こって、みんな無我夢中の日々をひた走ってきた1年でした。いまだ原発事故は収束に至らず、奥州・平泉・一関近辺はあの日の気流の関係でホット・スポットだとか。買出しの長い列に加わって長時間外にいた私の頭や肩、背中にも放射能はふりそそいでいたのでしょうか。
観光スポットは大歓迎ですが、目に見えない放射能、ホット・スポットはこまりものです。

来年はいい年に! などと高望みはしないことにしました。平穏無事に暮らせる1年であればそれでいい、とちいさな望みをいだくことにしました。

さて、我が工房であります。
ツレアイが一所懸命に壁に向かっていますね。目下我が家のフスマの張替え中です。
年末に入ってから、新年の床飾りにする掛け軸の仕事が相次いで、我が家の分まで手が回らなかったのです。ようやくここにきてその合間に少しづつ張替え作業を始めました。

お客さまのお宅のフスマならば、商売ですから当然一気に仕上げるのですが、自宅用は余り時間を利用してやっていますから、なかなか完成しません。一部屋だけ出来上がって、隣の部屋は30,31日だそうです。
ま、とりあえず、新年に間に合いそうでよかった。

こんなふうに平々凡々と過ぎていく日常がどんなに幸せか、思い知った年の瀬です。
健康だけが最後のトリデだと思います。みなさまも元気で新年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。



今日は毛越寺で祖父の50回忌法要がありました。
大粒の雨が降ったり日が射したりと、先週の結婚式と同様にめまぐるしい天候でしたが、そんな中を、観光客のみなさんが訪れてくれています。

写真は毛越寺本堂を背に、山門を入ってくる人たちを撮りました。
例年であれば、平泉の観光は11月23日の祝祭日を最後にシーズンオフとなり、大晦日から新年、二十夜祭を除けば、ただの田舎町の風景に戻ってしまうのですが、ありがたいことに今年は違います。
おそるべし、世界遺産効果です。

今度の元朝参りはどのくらいの人が中尊寺・毛越寺に参拝してくださるでしょうか。
町民として何かできることはないかなと考えると、うちの前に立って道路のご案内がいいような気がします。それほど我が家のあたりの道路には案内表示板がありません。
今年は迷えるドライバーたちに道を訊かれることがたびたびありました。
でも、寒そうだし・・・そうだ、ツレアイを立たせましょう。



自宅の畳をしばらくぶりに替えました。
プーンとイグサの香りがして、心までリフレッシュ。
若いころは畳の部屋なんて古臭くて、うちの中の部屋がぜんぶフローリングのほうがいい、と思っていました。
ところが、外に出た家族の人数が増えて、盆や正月に帰省したりすると、畳の部屋のありがたみが身にしみてわかるようになりました。
布団さえあれば、雑魚寝だろうと何人でもOK!  なんて便利。

それに、畳、障子、襖に囲まれた空間の、心地よい気分はこたえられません。
「ああ!日本人だな」って、しみじみ感じます。

ところで、床の間の全紙大の掛け軸ですが、私のお宝です。
だれが書いたものやら、価値のほどはわかりませんが、気に入っております。

この掛け軸は知り合いかが捨てようとしていたのを拾ったものです。
まったくこういうものに興味のない知り合いが私が表具屋だと思い出して、ゴミに出す前に電話をくれたのです。さっそく出かけて行ったら、家の軒下に他の処分品の山と一緒にありました。
何か月も雨風の中で放置されていたようで、うっすらとアオカビなんか生えていました。

さっそく拾って、洗いをかけて、仕立て直したら、立派な掛け軸によみがえりました。
その知人に「これ、この通り」と見せた時、「やっぱり返して」と言われるのではないかと心配しましたが、杞憂でした。
一言、「あ、そう」で終わり。めでたく私のものになったのでした。

こうして危ういところを救った美術品ですが、先代、先々代が蒐集したたくさんの作品が無造作に捨てられていったことを思うと、残念でなりません。

だれでもいいから、捨てる前に私を思い出して、と声を大きくして言いたい私です。








なんだと思いますか~
長さは17センチほどの鉄製です。
これでもペーパーナイフのはずだったんですが…

22日土曜日、一関市立博物館が主催した「5寸クギからペーパーナイフを作る」体験教室に参加して完成した、一応 ”作品" です。
クギのとがっている方を刃先に、頭の部分はそのままなのでいくらか面影を残していますでしょう。

集まったのは小学生から若者、年寄りまで、男女合わせて14、5人。
まず、燃料にする炭を切るところから始まりました。
炭を切ったことなんかなくて、力まかせになたを使ったら炭は切れるというよりも粉々になってしまいました。

かんなくずの上に炭を乗せ、種火をつけてふいごで風を送ると、たちまち炭に燃え移ってパチパチと火の粉が上がり、火床ができました。

刀匠の先生が火床に5寸クギを入れたり出したりしながら金づちで叩いていくと、赤く熱せられた先の方は、簡単に延ばされ形を変えて、たちまちペーパーナイフになりました。あとは研ぎを入れればOKです。

「さて、皆さんやってみましょう。でもぜったいに上手くいきません」とは学芸員さんの言葉。こうも断言されると、作りに来た意味がないのではないでしょうか?
そんな疑問に応えるように話が続きました。
「2階に展示されている舞草刀は日本刀の原型です。こんなに小さいものでも大変ですから、刀作りがいかに難しいものか、体験していただければいいのです」
そういうことでしたか…納得。

学芸員さんの予言どおりのものが仕上がった、というわけです。
先生の講評では「勇ましい形になりましたねえ」

うちに帰っていくら研いでも、あまりに厚すぎて刃になりませぬ。でも、その辺に転がしておいてもケガをする心配はなく、話のタネになります。

炭切りもふいごも初体験で、楽しかったです。
あの硬い鉄が金づちで打ちつけると柔らかに延びてくれる感触が、なんともいえないですねえ。でもやっぱり初心者の思うような形にはなってくれないガンコ者でした。







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