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私を一人前の表具師に育ててくれた師匠が亡くなって、ひと月が経ちました。
思い出の抽斗から懐かしい出来事があれこれと顔をのぞかせる1ヶ月でした。
掛け軸なんかにまったく興味がなかった20年前、
どういうわけか表具教室に飛び込んだ大胆な私です。
講座が終わった時に、「うちに来ないか」とスカウトされました。
先生が私の才能を見抜いた、というよりも
ほとんどが年金生活者の受講生の中で、ダントツの若さが光っていたのでしょう。
30代という、仕込めばモノになりそうな将来性が買われたのだと思います。
私のほうは、小遣い稼ぎの腰掛パートのつもりでしたが、
手取り足取り教えられて、とうとうどっぷり表具のおもしろさにハマってしまいました。
やがて独り立ち、今ではツレアイとともに表具屋家業で生計を立てています。
楓林堂がこうしてあるのも先生のおかげなのです。
表具屋はお客さまからの依頼品を表具するのが第一の仕事ですが、
師匠から伝えられた技術を次に伝えていくのもだいじな仕事だと思っています。
順繰りに伝えていくことで、表具の中身の作品は何百年も脈々と生きていけるのです。
さて、私たちは誰にこの表具技術を託すのでしょうか?
未だ見ぬ未来の表具師を思い描いています。

■わが家の庭先のツバキ。むかし先生のお宅からもらったものです。
思い出の木になりました。
思い出の抽斗から懐かしい出来事があれこれと顔をのぞかせる1ヶ月でした。
掛け軸なんかにまったく興味がなかった20年前、
どういうわけか表具教室に飛び込んだ大胆な私です。
講座が終わった時に、「うちに来ないか」とスカウトされました。
先生が私の才能を見抜いた、というよりも
ほとんどが年金生活者の受講生の中で、ダントツの若さが光っていたのでしょう。
30代という、仕込めばモノになりそうな将来性が買われたのだと思います。
私のほうは、小遣い稼ぎの腰掛パートのつもりでしたが、
手取り足取り教えられて、とうとうどっぷり表具のおもしろさにハマってしまいました。
やがて独り立ち、今ではツレアイとともに表具屋家業で生計を立てています。
楓林堂がこうしてあるのも先生のおかげなのです。
表具屋はお客さまからの依頼品を表具するのが第一の仕事ですが、
師匠から伝えられた技術を次に伝えていくのもだいじな仕事だと思っています。
順繰りに伝えていくことで、表具の中身の作品は何百年も脈々と生きていけるのです。
さて、私たちは誰にこの表具技術を託すのでしょうか?
未だ見ぬ未来の表具師を思い描いています。
■わが家の庭先のツバキ。むかし先生のお宅からもらったものです。
思い出の木になりました。
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