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三日前の朝のことです。
一足先に自宅と目と鼻の先の仕事場に行った夫から電話がありました。
「ちょっと外に出てみて。虹がすごくきれいだよ」
あわてて外に飛び出したら、霧雨が朝日を反射してキラキラ光っています。あちこちキョロキョロ見回して、西の空に二重にかかった虹を見つけました。
本当にきれい!
見るだけではもったいないと、大急ぎで娘にカメラを頼みました。そこへタイミングよく貨物列車が走ってきて先頭の車両がうまくアーチの中に入ってくれました。
上の虹は色が薄くて肉眼でしか見えませんでしたが、青空と白い雲、虹、赤い電車と一直線の高架橋がうまく収まりました。後ろの緑は中尊寺の山です。
手前には刈り取った稲のホンギョウがうまく季節感を出してくれている、と素人は娘のウデに満足しています。
どうぞ、写真をクリックして拡大してみてくださいね。
コンテナをつけた赤い電車は虹のアーチを行き来して、いまは被災地にたくさんの善意を運んだ帰り道なのかしら、とひとつ童話が生まれそうなお気に入りの写真になりました。
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今日は朝からツレアイと、平泉の北隣にある奥州市前沢区の日帰り温泉「舞鶴の湯」に行ってきました。小原庄助さんよろしく朝湯にとっぷりつかって、ということにでもなればゴキゲンなのですが、あいにく「舞鶴の湯」は先の震災で大きな被害を受けて臨時休業中、こちらも額の補修作業です。
受付カウンターのうしろに掲げられたこの額は直木賞作家、故三好京三先生の文章・揮毫による当温泉の由来で、畳にすれば約4枚分の大きさがあります。13年前の平成10年に作らせていただいたもので、これまで私どもが手がけたなかでもっとも大きな額装です。
さいわい震災では無キズでしたが、ところどころ糊付けの部分に剥れがあって、この休業期間を利用して補修させていただいたのです。
なぜ剥れるのか?
額の右手が玄関、左手が休憩ホール、その奥が温泉になっているので、湿気が絶えず左手から右手へ流れていると見え、左側の糊止めが湿気にやられて甘くなるのです。しばらく前にも補修しましたが、何年かするうちにやはり浮いてきて、これは表具屋泣かせです。
万全なアフターサービスを心がけている弊房(・・・こんな言葉遣いあるでしょうか? 三好先生が苦笑いされてるかも)ですから、とことんお付き合いしようと思います。
「舞鶴の湯」は10月1日(土)に営業再開です。
国道4号線から至近距離にあり、大きな温泉施設です。どうぞお出かけください。そして、由来の額もご覧くださいね。
6月下旬の世界遺産登録決定以降、大賑わいの平泉であります。
不景気風の吹き荒れる中、年を越え、春の観光シーズンに期待を込めていた矢先の大震災。お寺も観光施設もはひっそりとしておりました。町の人たちの気持ちも沿岸の惨状にそれどころではない、ってところもありましたし。
それが世界遺産の朗報が流れたとたん、どっと観光客が訪れてくれるようになりました。
いつもの年ならば夏休みが終わった9月は一旦潮が引くように静かになり、また紅葉の10月にいくらか盛り返すパターンなのですが、今年は切れ目がありません。観光バスもどんどんやってきて、ありがたいことです。
平泉から岩手県内や東北各地の観光地に波及してにぎわってくれると復興の力になり、うれしいことです。
うちの店は中尊寺から目と鼻の先にあるのですが観光ルートではありませんから、観光バスや県外ナンバーのクルマがビュンビュン通り過ぎていく気配で賑わいを感じるだけです。昨日は久しぶりに中尊寺に行って見ましたら、やっぱりお客さんがいっぱい!
写真中央の奥に見えるのがが金色堂の覆堂です。
暑い毎日が続きます。したたる汗が目に入り、痛いです。
まあそこまではいいのですが、表具作業の途中で作品や裂に汗が1滴でもポタリと落ちようものなら、とんでもないことになりますから、慎重に慎重を重ねて仕事をしなければなりません。
時おり「あ、生きかえるぅ!」なんて、ありがたい涼風も表具には大敵です。薄い和紙がふわりと舞い上がり、糊がたちまち乾いて、仕事がやりにくくなりますから。
今週の表具教室は会場の障害者福祉センター「サンアビリティーズ一関」の和室のフスマ紙張替えでした。もとよりフスマなど大型建具の担当はツレアイなので講師の私は助手に徹した1日でした。
フスマの張り替えは新しいフスマ紙を張ることよりも、古いフスマ紙と茶チリ紙という下張りの紙をはがす作業の方が時間がかかって、たいへんです。ことに前に張ったときの糊がガンコであれば、難儀します。それでもそれらをきちんと取り除かなければ、新しいフスマ紙がきれいに張れません。
受講生のみなさんの協力で10枚のフスマ紙の張替えができました。写真は新しい下張り紙に糊を付け、張っているところです。
余談ですが、フスマが建っている和室大広間は、大震災の折には被災者の皆さんの避難所になっていました。教室として使っているこの部屋は水道設備があるので調理場に、作業台は調理台になっていたようです。
ついこの間まで同じ場所でたくさんの人たちが不安な毎日を過ごしていたかと思うと、切ないものがあります。それぞれ自宅へ戻ったり行政が用意した住宅に移られて避難所は閉鎖されたということですが、みなさんが元気で毎日を過ごしていてほしいなあ、と思わずにはいられません。
もう日付が変わってしまいましたが、この深夜は私的にはまだ26日です。
2、3日前から決定の瞬間をリアルタイムで喜びたいと、テレビのテロップやラジオの速報に注意を払ってきましたが、お知らせはたびたびの地震情報ばかりです。
今朝目覚めたら、5時間も前に決定していたようで、すっかりだいじな瞬間を見逃してしまいました。
駅前のお菓子屋さん(大根コンの吉野屋さん)に買い物に行ったら、いつもは「いらっしゃいませ」なのに、まず第一声が「おめでとうございます!」
こちらもつい「おめでとうございます」
会う人毎に「こんにちは」の代わりに「おめでとうございます」をかわし合っていました。
なんだか、新年みたいな感じでおかしかったですね。
午後は一関のお客さまのお宅に出来上がった表具を届けに行きました。
そちらでも「平泉、おめでとうございます」と言われて、こんどは「ありがとうございます」と答える私でした。ただ平泉に住んでいるだけなのに、自分が名誉をいただいたようでちょっと気恥ずかしかったです。
さて、長年待ち望んでいた登録が叶うことになりましたが、これからが本当のはじまりです。世界の宝物を守るという文化財管理人の指名を受けた平泉町民はきちんと職務を全うできるように頑張らなければなりません。
わが身、わがことばかりを大事にしている私としてはなかなか難しい問題です。
2、3日前から決定の瞬間をリアルタイムで喜びたいと、テレビのテロップやラジオの速報に注意を払ってきましたが、お知らせはたびたびの地震情報ばかりです。
今朝目覚めたら、5時間も前に決定していたようで、すっかりだいじな瞬間を見逃してしまいました。
駅前のお菓子屋さん(大根コンの吉野屋さん)に買い物に行ったら、いつもは「いらっしゃいませ」なのに、まず第一声が「おめでとうございます!」
こちらもつい「おめでとうございます」
会う人毎に「こんにちは」の代わりに「おめでとうございます」をかわし合っていました。
なんだか、新年みたいな感じでおかしかったですね。
午後は一関のお客さまのお宅に出来上がった表具を届けに行きました。
そちらでも「平泉、おめでとうございます」と言われて、こんどは「ありがとうございます」と答える私でした。ただ平泉に住んでいるだけなのに、自分が名誉をいただいたようでちょっと気恥ずかしかったです。
さて、長年待ち望んでいた登録が叶うことになりましたが、これからが本当のはじまりです。世界の宝物を守るという文化財管理人の指名を受けた平泉町民はきちんと職務を全うできるように頑張らなければなりません。
わが身、わがことばかりを大事にしている私としてはなかなか難しい問題です。
3年前、登録延期になった平泉の文化遺産。
資産の見直し、タイトルの変更を経て再度の挑戦です。
今月19日にパリで開幕した世界遺産委員会で平泉が議題になるのは明日23日か24日だと聞いています。町民や県民の多くがかたずを呑んで結果を待っていることでしょう。
気が重くなるニュースばかりの毎日ですから、ひとつでも嬉しいニュースがあれば少しは心が晴れるのではないでしょうか。これがみんなの元気の元となるならば、なんとしても世界に貴重な遺産として認められたいものです。
資産の見直し、タイトルの変更を経て再度の挑戦です。
今月19日にパリで開幕した世界遺産委員会で平泉が議題になるのは明日23日か24日だと聞いています。町民や県民の多くがかたずを呑んで結果を待っていることでしょう。
気が重くなるニュースばかりの毎日ですから、ひとつでも嬉しいニュースがあれば少しは心が晴れるのではないでしょうか。これがみんなの元気の元となるならば、なんとしても世界に貴重な遺産として認められたいものです。
悲しいニュース、つらいニュース、心配なニュースが続く毎日ですが、今朝はちょっぴり明るいニュースが飛び込んできました。
ユネスコの世界文化遺産に名乗りを上げている平泉の遺産が、イコモスから登録の勧告を受けたというものです。6月の正式決定を待たなければ安心は出来ませんが、よき訪れは心地よいものです。
震災で受けた大きな痛手の前にはほんの些細なことです。けれども暗闇の中に灯る明かりは小さくても進む道の確かなしるべとなります。東北に暮らす人びとの心を元気づける素になるといいなあ、と思います。
ユネスコの世界文化遺産に名乗りを上げている平泉の遺産が、イコモスから登録の勧告を受けたというものです。6月の正式決定を待たなければ安心は出来ませんが、よき訪れは心地よいものです。
震災で受けた大きな痛手の前にはほんの些細なことです。けれども暗闇の中に灯る明かりは小さくても進む道の確かなしるべとなります。東北に暮らす人びとの心を元気づける素になるといいなあ、と思います。
我が家の前の「いちばん桜」が満開になりました。
もちろん、町なか4号線の桜並木をはじめ、平泉じゅうの桜が今を盛りと開花して、一年でいちばん美しい光景が展開しています。
いつもの年ですと、観光客のみなさんの目を楽しませ、藤原まつりへの橋渡しの華やかさがあるのですが、今年はわずかな訪問客と町民に愛でられて、楚々と散っていくのでしょう。
内陸部はほとんど平常に戻ってきましたが、藤原まつりのメインイベント(東下り行列、稚児行列、弁慶力餅大会など)が自粛取りやめになったりして、さびしい春を感じています。
工房の仕事も、落下した額の修理などが入ってきて、今更ながらに震災のすさまじさを目の当たりにしています。
余震も原発も、一刻も早く収束してほしいものです。
このところのあたたかさに誘われて、平泉の桜もだいぶふくらみ、色づいてきました。
我が家と工房の間には町道が走っていますが、この道はむかしの国道だったので、そのなごりか桜の古木が点在しています。40年位前はみごとな桜のアーチが出来てちょっとした名所でした。残念ながら今では並木と言えない数に減ってしまいました。でも、毎年美しい花を咲かせてくれます。
写真の桜は我が家の真ん前の木です。
電線の邪魔になるから、と時どき枝を落とされて全体のすがたは無格好ですが、いちばん最初に咲き出して、いちばん濃い花色で目を楽しませてくれます。今日、ひと枝だけ開花しているのを見つけました。
震災のなか、人びとの心は春をめでる余裕などないかもしれません。
でも、木々や花々は天変地異の影響を受けながらも、きちんと季節を告げてくれます。昨年の猛暑にもアメリカシロヒトリにも、冬の大雪にも、そして地震にも負けないで咲き始めた健気な花たちに元気づけられています。
未曾有の大地震から10日が過ぎました。
平泉は揺れは非常に激しかったものの、被害はほとんど無く、ライフラインは数日で戻りました。
けれども連日報道されている沿岸の各地のようすは、とても現実のものとは思えない状態です。
たくさんの亡くなった方、家族を失った方、生活基盤を根こそぎ持っていかれた方の悲しみに寄り添う術がありません。
そんな中、昨日はよいニュースが2つありました。
気仙沼に住む表具屋仲間たちから、無事を知らせるメールと電話がありました。
ひとりは職業訓練校の先輩、もうひとりは本紙の染み抜きなどでお世話になっている人です。
やっと昨日、電気・電話が通じるようになったので連絡をくれたようです。
よかったー、とホッとしています。
また、地震数日後、楓林堂のHPをリンクしてくださっている宮古市のフルヤマ表具店さんからは、表具材料問屋さんを経由して、「無事」の連絡を受けていました。とりあえず、沿岸のお友だちがみんな元気でいてくれてありがたいことです。
被災されたみなさんの心と生活が平常に戻るには長い時間がかかることだと思います。今回、運よく被災しないですんだわたしたちに何が求められているか、何が出来るか、これからはそれがひとりひとりに問われているような気がします。
平泉は揺れは非常に激しかったものの、被害はほとんど無く、ライフラインは数日で戻りました。
けれども連日報道されている沿岸の各地のようすは、とても現実のものとは思えない状態です。
たくさんの亡くなった方、家族を失った方、生活基盤を根こそぎ持っていかれた方の悲しみに寄り添う術がありません。
そんな中、昨日はよいニュースが2つありました。
気仙沼に住む表具屋仲間たちから、無事を知らせるメールと電話がありました。
ひとりは職業訓練校の先輩、もうひとりは本紙の染み抜きなどでお世話になっている人です。
やっと昨日、電気・電話が通じるようになったので連絡をくれたようです。
よかったー、とホッとしています。
また、地震数日後、楓林堂のHPをリンクしてくださっている宮古市のフルヤマ表具店さんからは、表具材料問屋さんを経由して、「無事」の連絡を受けていました。とりあえず、沿岸のお友だちがみんな元気でいてくれてありがたいことです。
被災されたみなさんの心と生活が平常に戻るには長い時間がかかることだと思います。今回、運よく被災しないですんだわたしたちに何が求められているか、何が出来るか、これからはそれがひとりひとりに問われているような気がします。