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切り継ぎが終わって、表側は一応掛け軸の体をなしたところに、
今度は裏側全体に裏打ち紙を張っていきます。(中裏打ち)
これは継ぎ接ぎ状態になっている本紙と裂を一体化するものです。

均一な厚さに調整するための増し裏打ちというのもあるんですが、それはさておき、
次は両サイドの始末をしたり、上端と下端に袋と呼ばれる紙を張って、
もう1度裏打ちを掛けます。(総裏打ち)

総裏打ちが終わると、上の袋には発装(はっそう)棒を、下の袋には軸木を取り付けます。
掛け軸には吊るすために発装棒が、巻き込むために軸木が必要です。
そして、風帯(ふうたい)や紐を取り付けて完成です。
このあと、吊ったり巻いたりしながら、しばらく「掛かり具合」を見る時間があって、
それからようやくお客様の手に渡ります。


下の写真が完成品です。
本来は総縁(金に紺の裂)の寸法を、上下とももう少し長く取りたいところですが、
掛ける床の間の高さの関係で、今回は短くしています。

風帯は中回しと同じ裂(金に赤)で作っています。(中回し風帯)
ピラピラしていて凧の足のようにも見える風帯のお話は、次回に。


目下、掛かり具合を観察中。
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前回はお札を全部つないでそれぞれの間に筋を入れ、
天地に一文字という細い裂(きれ)を貼り付けたところまででした。

次はその周りにぐるりと細い筋(こげ茶)を廻して、
その外側に中回しという裂(金に赤の部分)を張りつけます。
さらにまたその周りに細い筋(浅葱)を廻して、
一番外側に総縁(そうべり)の裂(金に紺)を張って表側が出来上がりです。
これらの作業を切り継ぎといいます。
本紙の周りを一文字、筋、中回し、筋、総縁と5種類の裂が囲みました。

掛け軸の形式にはいろいろなものがありますが、仏表具が一番手が込んでいます。
仏さまの姿や経典の言葉を幾重にも囲んで、ありがたく大事に礼拝するということの表れですね。

表具はもともと仏教から派生したもの。
政変の多かった中国では、経典やご本尊を略奪や火災から守るため、
簡単に持ち運びできる必要性もあったようです。
それで仏像は絵師によって紙に写し取られ、仏画は掛け軸というすがたになったのでしょう。これならどんな場所に掛けても礼拝できますものね。

掛け軸と表具技法は飛鳥、奈良時代に仏教の伝来とともに日本に入ってきて、
脈々と受け継がれ、今に至っています。
遠い昔、遣隋使船、遣唐使船などに揺られながらやってきたことに思いをはせると、
もうこれはロマンの世界です。
そして今では本家本元の中国よりはるかに優れた技術に進化した日本の表具を考えると、先達表具師たちの努力と工夫が、今の私たちにはとってもありがたく思えてならないのです。

切り継ぎが終わったので、次は裏側の作業が待っています。
2回の裏打ちとか、風帯(ふうたい)作り、軸棒の取り付けなどです。
これはまたあとで。



目下、わが工房で製作しているのは四国八十八ヶ所霊場御影札の掛け軸です。

八十八ヶ所のお寺をお参りしたお遍路さんたちが宝物のように持ち帰ってこられるのは、
御朱印の押された納経軸と88枚のご本尊札です。
それらは表具屋の手に渡り、納経軸は掛け軸に、お札は掛け軸、額、屏風などに
表装されます。(納経軸の完成品は「楓林堂HP ギャラリー1」でご覧ください)

88枚のお札はほぼ同じ大きさなのですが、微妙に寸法が違います。
それらをそのままつないで1枚の大きな本紙にしていくと
微妙×88で最終的にはかなりの誤差が生じて、きちんとした矩形になりません。
そこで12.0センチ×6.4センチに整形していくのですが、これが単純作業で
半分くらいやると、正直なところ苦痛になってきます。
でもこのお札を1枚1枚いただいてきたお遍路さんの旅のご苦労を思えば、
ゆめゆめ弱音を吐いたり、いい加減な作業なぞできません。

で、88枚を無事整形し終わると、それらを1番寺~88番寺まで順序を間違えずに
タイル職人よろしく並べていき、目地にあたる部分にスジを施して一体化します。
この先はいつもと同じ仏表具ですから、作業の8割方は終えた気分になります。

後日、また作業経過をお目にかけようと思います。


作業台の上が散らかっていて
 見苦しく、ごめんなさい。



最近、テレビやラジオから軽快なリズムとともに
「♪♪ かッれは まう おらほの ちっちゃな はッたーけッ」
歌声が聞こえてきます。そのあとに子どもたちのかわいい声で
「ちいっちゃな はたけー」と続きます。
県外の方には残念ながら耳にする機会はないのですが、
4月から流れているNHKの「いわて みんなのうた」の「大根コン!」なのであります。

歌っているのは平泉の吉野崇さんです。作詞作曲も!
彼は平泉の銘菓「辨慶力餅」の「吉野屋」さんの後継ぎで、
もっか家業を修業中の青年です。
いちやく歌う菓子職人になってしまいましたねえ。

この歌、あったかくてくかわいくて、聴いていると元気が出てきます。
CDは非売品ですが、NHK盛岡放送局のホームページの「いわてみんなのうた」で
聴くことができまます。
どうぞ、ぜひクリックしてみてくださいね。
 ↓↓↓
http://www.nhk.or.jp/morioka/minna/

それからこれも吉野さんの作詞作曲で「桜 詩(うた)う」という曲も発表されました。
こちらは森美紀子さんというシンガーが歌ってDDが出ていますが、
透明感のある声と曲がマッチしてステキです。




3日は藤原まつりでもっとも中心的な行事、「東下り行列」が行われました。
兄源頼朝に追われた義経が藤原秀衡を頼って都落ちしてくる場面を再現したものです。

この行事はいったい、いつから行われていたのかと思っていたら、
昭和30年とのことで、43年以降は恒例行事になったそうです。
けれども調べていくと、戦前の昭和16年に催された記念写真が残っており、
さらに遡って明治35年に催された古記録があったとのことで、びっくりです。

これらは本ブログの09年10月に「新刊書のお知らせ」と題してご紹介した
「平泉―浄土をあらわす文化遺産の全容」の中で
千葉信胤さんが書いておられます。
戦前や明治の人たちは、まさかのちの時代に一大観光イベントとして
たくさんの見物客を集めるようになるなんて想像もしていなかったでしょうね。

千葉さんは
「東下り行列」は、平泉という「風土」のなかに受け継がれてきた、
義経最期の地としての係わりであり、
英雄伝説への讃仰(さんごう)の姿だったのである。
と、結んでいます。
この行列は集客目的の見世物パレードではなく、先祖から受け継いできた精神文化
なんだな、と今年の見物姿勢がちょっぴり変わりました。


今年の義経役は俳優の内田朝陽さん



ゴールデンウイーク中盤、平泉は「春の藤原まつり」2日目です。
このところ、寒い日が続いて桜の花も観光客の出足も縮こまっていましたが、
今日はホカホカと少し歩けば汗ばむくらいの陽気です。
桜はやっと本領発揮で、今を盛りと咲き誇っています。
県外ナンバーのクルマも駐車場前で列を作っていて、町は一気に活気づいています。

明日3日はまつりのメインイベント「源義経東下り行列」があります。
お近くの方、ぜひお出かけくださいね。
そうそう、無量光院跡の池の水はあまりに好評なので5日までに延長になりました。
おまつりにお出でになる方は見ることができます。

この期間、駐車場に入るのに苦労しますから、
わが工房&わが家の空き地をご利用ください。無料です。
場所はHP表紙の一番下にあります。

「表具教室」のお知らせ
今月21日から、平泉町公民館で初の「表具教室」を行います。
4回コースでパネル額、ミニ屏風などを作ります。
希望があれば裏打ちの仕方なども。
町内の方、また近隣市の方々もたぶんOKかと思います。
公民館(46-2010)にお問い合わせください。


◆平泉文化史館の桜

JR平泉駅から中尊寺に向かう道すじの途中に「特別史跡 無量光院跡」があります。
無量光院は、奥州藤原氏の三代秀衡公が宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院ですが、平泉の多くの史跡と同様、ここも礎石と中島、池跡を残すのみの景観です。
周りは水田化されて、長い間、早苗や稲穂が池の水面の役割を果たしてきました。
私たちはみどりの穂波から、池の雰囲気を思い描くしかありませんでした。

それがにわかに数日前、水が張られてビックリ。
今夏のイコモスの現地調査時に理解されやすいよう往時を再現する、
その試験的なもののようです。
26日には水を落すと新聞に書いてあったので、大急ぎで写真を撮って来ました。

池の全部に水が張られたのではないようですが、それにしてもすごい迫力です。
水面には中島の木々の影が映り、陽の光に照り返された本物のさざなみがキラキラと
とても美しかったです。

毛越寺、旧観自在王院庭園、無量光院跡、そして猫間が淵、中尊寺大池跡・・・と
あのころを想像してみると、まさに平泉は豊かな「水の都」だったのですね。
それぞれの池が池としてみなよみがえったらすばらしいことです。
が、まずは25日までにお出かけください。 必見です!


◆奥が中島です。
 無量光院跡は平泉駅前から北に延びる中尊寺通りを行くと
 道路沿いにあります。駐車できるスペースもあります。


昨日は表装材料の展示会でした。
つまりは掛け軸や屏風など表具をする時に使う材料の大販売会です。

いつもは地元の材料問屋さんの在庫品、もしくはカタログの中からの注文で手に入れるのですが、この日は織元直結の表具裂問屋さんや紙屋さん、刷毛や糊を扱う用具屋さんなどが
関西各地からやってきて、たくさん商品を並べます。
私たちには豊富な品物をじかに見ながら買えるので楽しみなイベントです。

それからもうひとつの楽しみがあります。
同業者や表具教室で関わりのあった人たちと久しぶりの再会ができるのです。
とくに職業訓練校で一緒に過ごした仲間たちに会うと、つい歓声を上げてしばしのミニ同窓会が始まります。互いの近況を語り合って、「じゃ、また来年」と別れます。

何事もないときはまったく音信不通で年賀状だけの付き合いですが、
ひとたび困ったこと(難題な表具を請け負ったり、大物の表具で人手がほしい時など)
を抱えた時に、頼りになるのが仲間たちです。
これまで何度アイデアやヒントを出してもらったり、実際に駆けつけてもらって助けられたことか。この仲間たちは私の財産だなあ、とつくづく思うのです。


◆昨日買って来た茶系の裂地 1反(33尺)巻き
 これを使う分だけ切り、和紙で裏打ちして掛け軸にしていきます。 

私を一人前の表具師に育ててくれた師匠が亡くなって、ひと月が経ちました。
思い出の抽斗から懐かしい出来事があれこれと顔をのぞかせる1ヶ月でした。

掛け軸なんかにまったく興味がなかった20年前、
どういうわけか表具教室に飛び込んだ大胆な私です。
講座が終わった時に、「うちに来ないか」とスカウトされました。
先生が私の才能を見抜いた、というよりも
ほとんどが年金生活者の受講生の中で、ダントツの若さが光っていたのでしょう。
30代という、仕込めばモノになりそうな将来性が買われたのだと思います。

私のほうは、小遣い稼ぎの腰掛パートのつもりでしたが、
手取り足取り教えられて、とうとうどっぷり表具のおもしろさにハマってしまいました。
やがて独り立ち、今ではツレアイとともに表具屋家業で生計を立てています。
楓林堂がこうしてあるのも先生のおかげなのです。

表具屋はお客さまからの依頼品を表具するのが第一の仕事ですが、
師匠から伝えられた技術を次に伝えていくのもだいじな仕事だと思っています。
順繰りに伝えていくことで、表具の中身の作品は何百年も脈々と生きていけるのです。
さて、私たちは誰にこの表具技術を託すのでしょうか?
未だ見ぬ未来の表具師を思い描いています。


わが家の庭先のツバキ。むかし先生のお宅からもらったものです。
  思い出の木になりました。

あっという間に3月も後半、別れの季節を迎えています。
この時期になるといつも心に浮かぶのは
過ぎ去ってゆく者として抱かれおり 弥生3月さよならの月
歌人俵万智さんが詠んだ歌です。

写真は色紙掛けです。
今月末に離任される方に寄せ書きする色紙に添えて
色紙掛けも贈りたい、と依頼を受けました。
いかにも和風という感じではなく、洋間にマッチする、額のような軸を、
というご要望がありました。

本来掛け物は本紙(色紙の部分)の上下が2:1の寸法で作るものです。
けれども伝統の形式や寸法にこだわらないで作ることもできます。
なんでもありの「創作表具」です。
もちろん、なんでもありといっても、表具としての品格を失わない範囲内での
自由なかたちならOK、と考えています。

裂は利休紬、軸先は有鱗竹を使い、
アクセントに左右にピンクの細いスジをあしらいました。
今は未だまっさらな色紙に、どんな言葉が寄せ書きされるのでしょうか。
送る人たちのこころのこもった色紙が仕上がり、この色紙がけに納まって、
末長く飾ってもらえることを、製作者は願っています。




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