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自宅の畳をしばらくぶりに替えました。
プーンとイグサの香りがして、心までリフレッシュ。
若いころは畳の部屋なんて古臭くて、うちの中の部屋がぜんぶフローリングのほうがいい、と思っていました。
ところが、外に出た家族の人数が増えて、盆や正月に帰省したりすると、畳の部屋のありがたみが身にしみてわかるようになりました。
布団さえあれば、雑魚寝だろうと何人でもOK!  なんて便利。

それに、畳、障子、襖に囲まれた空間の、心地よい気分はこたえられません。
「ああ!日本人だな」って、しみじみ感じます。

ところで、床の間の全紙大の掛け軸ですが、私のお宝です。
だれが書いたものやら、価値のほどはわかりませんが、気に入っております。

この掛け軸は知り合いかが捨てようとしていたのを拾ったものです。
まったくこういうものに興味のない知り合いが私が表具屋だと思い出して、ゴミに出す前に電話をくれたのです。さっそく出かけて行ったら、家の軒下に他の処分品の山と一緒にありました。
何か月も雨風の中で放置されていたようで、うっすらとアオカビなんか生えていました。

さっそく拾って、洗いをかけて、仕立て直したら、立派な掛け軸によみがえりました。
その知人に「これ、この通り」と見せた時、「やっぱり返して」と言われるのではないかと心配しましたが、杞憂でした。
一言、「あ、そう」で終わり。めでたく私のものになったのでした。

こうして危ういところを救った美術品ですが、先代、先々代が蒐集したたくさんの作品が無造作に捨てられていったことを思うと、残念でなりません。

だれでもいいから、捨てる前に私を思い出して、と声を大きくして言いたい私です。




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なんだと思いますか~
長さは17センチほどの鉄製です。
これでもペーパーナイフのはずだったんですが…

22日土曜日、一関市立博物館が主催した「5寸クギからペーパーナイフを作る」体験教室に参加して完成した、一応 ”作品" です。
クギのとがっている方を刃先に、頭の部分はそのままなのでいくらか面影を残していますでしょう。

集まったのは小学生から若者、年寄りまで、男女合わせて14、5人。
まず、燃料にする炭を切るところから始まりました。
炭を切ったことなんかなくて、力まかせになたを使ったら炭は切れるというよりも粉々になってしまいました。

かんなくずの上に炭を乗せ、種火をつけてふいごで風を送ると、たちまち炭に燃え移ってパチパチと火の粉が上がり、火床ができました。

刀匠の先生が火床に5寸クギを入れたり出したりしながら金づちで叩いていくと、赤く熱せられた先の方は、簡単に延ばされ形を変えて、たちまちペーパーナイフになりました。あとは研ぎを入れればOKです。

「さて、皆さんやってみましょう。でもぜったいに上手くいきません」とは学芸員さんの言葉。こうも断言されると、作りに来た意味がないのではないでしょうか?
そんな疑問に応えるように話が続きました。
「2階に展示されている舞草刀は日本刀の原型です。こんなに小さいものでも大変ですから、刀作りがいかに難しいものか、体験していただければいいのです」
そういうことでしたか…納得。

学芸員さんの予言どおりのものが仕上がった、というわけです。
先生の講評では「勇ましい形になりましたねえ」

うちに帰っていくら研いでも、あまりに厚すぎて刃になりませぬ。でも、その辺に転がしておいてもケガをする心配はなく、話のタネになります。

炭切りもふいごも初体験で、楽しかったです。
あの硬い鉄が金づちで打ちつけると柔らかに延びてくれる感触が、なんともいえないですねえ。でもやっぱり初心者の思うような形にはなってくれないガンコ者でした。








三日前の朝のことです。
一足先に自宅と目と鼻の先の仕事場に行った夫から電話がありました。
「ちょっと外に出てみて。虹がすごくきれいだよ」

あわてて外に飛び出したら、霧雨が朝日を反射してキラキラ光っています。あちこちキョロキョロ見回して、西の空に二重にかかった虹を見つけました。
本当にきれい!

見るだけではもったいないと、大急ぎで娘にカメラを頼みました。そこへタイミングよく貨物列車が走ってきて先頭の車両がうまくアーチの中に入ってくれました。

上の虹は色が薄くて肉眼でしか見えませんでしたが、青空と白い雲、虹、赤い電車と一直線の高架橋がうまく収まりました。後ろの緑は中尊寺の山です。
手前には刈り取った稲のホンギョウがうまく季節感を出してくれている、と素人は娘のウデに満足しています。
どうぞ、写真をクリックして拡大してみてくださいね。

コンテナをつけた赤い電車は虹のアーチを行き来して、いまは被災地にたくさんの善意を運んだ帰り道なのかしら、とひとつ童話が生まれそうなお気に入りの写真になりました。







今日は朝からツレアイと、平泉の北隣にある奥州市前沢区の日帰り温泉「舞鶴の湯」に行ってきました。小原庄助さんよろしく朝湯にとっぷりつかって、ということにでもなればゴキゲンなのですが、あいにく「舞鶴の湯」は先の震災で大きな被害を受けて臨時休業中、こちらも額の補修作業です。

受付カウンターのうしろに掲げられたこの額は直木賞作家、故三好京三先生の文章・揮毫による当温泉の由来で、畳にすれば約4枚分の大きさがあります。13年前の平成10年に作らせていただいたもので、これまで私どもが手がけたなかでもっとも大きな額装です。

さいわい震災では無キズでしたが、ところどころ糊付けの部分に剥れがあって、この休業期間を利用して補修させていただいたのです。

なぜ剥れるのか?
額の右手が玄関、左手が休憩ホール、その奥が温泉になっているので、湿気が絶えず左手から右手へ流れていると見え、左側の糊止めが湿気にやられて甘くなるのです。しばらく前にも補修しましたが、何年かするうちにやはり浮いてきて、これは表具屋泣かせです。

万全なアフターサービスを心がけている弊房(・・・こんな言葉遣いあるでしょうか? 三好先生が苦笑いされてるかも)ですから、とことんお付き合いしようと思います。

「舞鶴の湯」は10月1日(土)に営業再開です。
国道4号線から至近距離にあり、大きな温泉施設です。どうぞお出かけください。そして、由来の額もご覧くださいね。



6月下旬の世界遺産登録決定以降、大賑わいの平泉であります。

不景気風の吹き荒れる中、年を越え、春の観光シーズンに期待を込めていた矢先の大震災。お寺も観光施設もはひっそりとしておりました。町の人たちの気持ちも沿岸の惨状にそれどころではない、ってところもありましたし。

それが世界遺産の朗報が流れたとたん、どっと観光客が訪れてくれるようになりました。
いつもの年ならば夏休みが終わった9月は一旦潮が引くように静かになり、また紅葉の10月にいくらか盛り返すパターンなのですが、今年は切れ目がありません。観光バスもどんどんやってきて、ありがたいことです。
平泉から岩手県内や東北各地の観光地に波及してにぎわってくれると復興の力になり、うれしいことです。

うちの店は中尊寺から目と鼻の先にあるのですが観光ルートではありませんから、観光バスや県外ナンバーのクルマがビュンビュン通り過ぎていく気配で賑わいを感じるだけです。昨日は久しぶりに中尊寺に行って見ましたら、やっぱりお客さんがいっぱい!

写真中央の奥に見えるのがが金色堂の覆堂です。



暑い毎日が続きます。したたる汗が目に入り、痛いです。
まあそこまではいいのですが、表具作業の途中で作品や裂に汗が1滴でもポタリと落ちようものなら、とんでもないことになりますから、慎重に慎重を重ねて仕事をしなければなりません。
時おり「あ、生きかえるぅ!」なんて、ありがたい涼風も表具には大敵です。薄い和紙がふわりと舞い上がり、糊がたちまち乾いて、仕事がやりにくくなりますから。

今週の表具教室は会場の障害者福祉センター「サンアビリティーズ一関」の和室のフスマ紙張替えでした。もとよりフスマなど大型建具の担当はツレアイなので講師の私は助手に徹した1日でした。

フスマの張り替えは新しいフスマ紙を張ることよりも、古いフスマ紙と茶チリ紙という下張りの紙をはがす作業の方が時間がかかって、たいへんです。ことに前に張ったときの糊がガンコであれば、難儀します。それでもそれらをきちんと取り除かなければ、新しいフスマ紙がきれいに張れません。

受講生のみなさんの協力で10枚のフスマ紙の張替えができました。写真は新しい下張り紙に糊を付け、張っているところです。

余談ですが、フスマが建っている和室大広間は、大震災の折には被災者の皆さんの避難所になっていました。教室として使っているこの部屋は水道設備があるので調理場に、作業台は調理台になっていたようです。
ついこの間まで同じ場所でたくさんの人たちが不安な毎日を過ごしていたかと思うと、切ないものがあります。それぞれ自宅へ戻ったり行政が用意した住宅に移られて避難所は閉鎖されたということですが、みなさんが元気で毎日を過ごしていてほしいなあ、と思わずにはいられません。



もう日付が変わってしまいましたが、この深夜は私的にはまだ26日です。
2、3日前から決定の瞬間をリアルタイムで喜びたいと、テレビのテロップやラジオの速報に注意を払ってきましたが、お知らせはたびたびの地震情報ばかりです。
今朝目覚めたら、5時間も前に決定していたようで、すっかりだいじな瞬間を見逃してしまいました。

駅前のお菓子屋さん(大根コンの吉野屋さん)に買い物に行ったら、いつもは「いらっしゃいませ」なのに、まず第一声が「おめでとうございます!」
こちらもつい「おめでとうございます」
会う人毎に「こんにちは」の代わりに「おめでとうございます」をかわし合っていました。
なんだか、新年みたいな感じでおかしかったですね。

午後は一関のお客さまのお宅に出来上がった表具を届けに行きました。
そちらでも「平泉、おめでとうございます」と言われて、こんどは「ありがとうございます」と答える私でした。ただ平泉に住んでいるだけなのに、自分が名誉をいただいたようでちょっと気恥ずかしかったです。

さて、長年待ち望んでいた登録が叶うことになりましたが、これからが本当のはじまりです。世界の宝物を守るという文化財管理人の指名を受けた平泉町民はきちんと職務を全うできるように頑張らなければなりません。
わが身、わがことばかりを大事にしている私としてはなかなか難しい問題です。


3年前、登録延期になった平泉の文化遺産。
資産の見直し、タイトルの変更を経て再度の挑戦です。

今月19日にパリで開幕した世界遺産委員会で平泉が議題になるのは明日23日か24日だと聞いています。町民や県民の多くがかたずを呑んで結果を待っていることでしょう。

気が重くなるニュースばかりの毎日ですから、ひとつでも嬉しいニュースがあれば少しは心が晴れるのではないでしょうか。これがみんなの元気の元となるならば、なんとしても世界に貴重な遺産として認められたいものです。



悲しいニュース、つらいニュース、心配なニュースが続く毎日ですが、今朝はちょっぴり明るいニュースが飛び込んできました。

ユネスコの世界文化遺産に名乗りを上げている平泉の遺産が、イコモスから登録の勧告を受けたというものです。6月の正式決定を待たなければ安心は出来ませんが、よき訪れは心地よいものです。

震災で受けた大きな痛手の前にはほんの些細なことです。けれども暗闇の中に灯る明かりは小さくても進む道の確かなしるべとなります。東北に暮らす人びとの心を元気づける素になるといいなあ、と思います。



我が家の前の「いちばん桜」が満開になりました。
もちろん、町なか4号線の桜並木をはじめ、平泉じゅうの桜が今を盛りと開花して、一年でいちばん美しい光景が展開しています。
いつもの年ですと、観光客のみなさんの目を楽しませ、藤原まつりへの橋渡しの華やかさがあるのですが、今年はわずかな訪問客と町民に愛でられて、楚々と散っていくのでしょう。

内陸部はほとんど平常に戻ってきましたが、藤原まつりのメインイベント(東下り行列、稚児行列、弁慶力餅大会など)が自粛取りやめになったりして、さびしい春を感じています。
工房の仕事も、落下した額の修理などが入ってきて、今更ながらに震災のすさまじさを目の当たりにしています。
余震も原発も、一刻も早く収束してほしいものです。



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