忍者ブログ
[9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



三が日が過ぎ、松もとっくに取れ、平泉では中尊寺の金杯披き、毛越寺の二十日夜祭も終わって、1月もあとわずか。世の中はいつも通りの日常に戻っております。
こんなときに新年のご挨拶とは、まことに間が抜けています。あら、去年の最初のブログも、たしか同じようなセリフで始まったのでありました。すっかり更新怠け癖がしみ付いております。

さて工房の近況ですが、年末に古い掛け軸の仕立て直し注文が相次いで、その作業と大般若経の修理に追われています。

古ものの仕立て直しは得意とするところですが、それでも毎回背中がゾクッとする部分があります。
それは古い掛け軸から作品部分を損傷なく取り上げて、新しい裏打ちを施す工程です。これさえうまくクリアできれば、あとは間違いなくきちんと掛け軸はできていきます。ですから古い裏打ち紙を剥がす、という時はついピリピリとしてしまいます。

今回はピリピリにもうひとつピリがついた仕事が入っています。それは中国で表装された掛け軸の仕立て直しです。
おおかたの日本の表具師は、糊が枯れて将来また表装し直すのを前提にして掛け軸を作っています。水を含ませれば裏打ち紙から簡単に剥がれてくれる糊を使っているのです。前の表具師の糊が簡単に剥がせたように、自分も次の世代の表具師へ配慮した表装を心がけているというところでしょうか。

ところが、中国で表装された掛け軸の多くは剥がれにくく、難儀します。本紙を傷つけてしまいそうな超強力糊が使用されていて、表具屋泣かせです。「中国製はお断り」という同業者もいるほどです。
表装の技術は中国から伝わってきたのですが、中国糊の簡単な融解テクニックというものがあるのならぜひとも知りたいものです。

手元に預かって、まだ手をかけていないこの掛け軸の糊はいったいどんな感じなのか、ちょっと、いやかなり怖いものがあります。
分析が好きな元化学屋のツレアイは楽しみにしているようですけど。

PR


目下、掛け軸や屏風の製作の合間を縫って、大般若経を修理しています。
修理といっても大がかりなものではありません。
表紙の題箋(だいせん・書名が書かれている紙)の張り替えと表紙・裏表紙の傷みの補修だけで、1冊あたりの作業はたいしたことはないのです。

ですが、なんといっても数が多いのです。
1組10冊で、これが60組。ぜんぶで600冊です。
月の初めに大般若経会があるので、そのときはお寺に全冊がそろっていなければならず、仕上がるのに半年ほどかけたこま切れの作業日程となります。

こちらの手からそちらの手へパラパラパラと流れるように移動していく大般若経会の転読風景はテレビでは見たことがありますが、まだ実際には見たことはありません。
にもかかわらずその現物が手元にやってきたのですから、何という幸運!

表紙は表も裏も、なるほど修理に出さなければならないくらい傷んでいます。
どのくらい前に製本されたものかわかりませんが、毎月、パラパラパラとやるのですから、和尚さんたちの指にこめた力や汗を受けとめて、長い間にこうなったのでしょう。
感慨深いものがあります。

私は表紙の青い唐紙のズルっとむけて丸まった部分を延ばしながら糊付けし、連れ合いは隣の作業台ではがれにくい古い題箋に四苦八苦している今日この頃の工房です。


◆はがしと補修を終えて、新しい
 題箋をはるばかりのお経本の整列

 



11月3日文化の日前後は文化祭のシーズンです。
学校でも地域でも1年間の集大成としての作品展や発表会が華やかです。

昨日、今日と、ツレアイが講師をつとめている一関女性センターでも文化祭がありました。
煎茶のお茶会券をお駄賃に「行って見て来い」と言われたので、出かけてきました。
入り口正面に陣取った表具教室の作品たちです。今回はミニ屏風や額の展示です。
額はパネル額、ペーパーマット額、落とし額などいろいろなバリエーションで作ったようです。皆さん、上手に作っていてとても気持ちのいい仕上がりでした。

私たち夫婦はそれぞれ別の教室で講師をしているので、常日頃はツレアイがどんなものを受講者の皆さんと作っているのか、ほとんど知りません。こういう機会に、「ふむ、ふむ」と確認するのです。

さて今回はこれらの表具作品のほかにも仕事を確認することがありました。
この文化祭直前にやった襖の講習会の出来栄えの確認でした。
場所は女性センターの和室。そこは当日煎茶道のお茶会会場として使われています。
それでお茶会券を渡して「行って来い」と言ったのです。

煎茶など、結婚前に数年習ったきり。それもあんまり熱心な生徒ではありませんでした。
あれから30年(きみまろ調)、すっかり忘れていました。
お手前どころか、お客としての立ち振る舞いまでもです・・・
こんなに忘れちゃったか、なさけなやと、すっかりショックな私です。
おかげで気もそぞろになって、本目的の襖の出来栄えなど、てんで目に入りませんでした。来年はしっかりと。




このところ夏に秋のような写真を、秋に春のような写真をアップしていましたが、
ようやく季節相応の写真を撮ってきました。
中尊寺の参道です。本堂から金色堂に向かう中間辺りです。
真っ赤に染まったモミジが、いま見頃ですね。
暑からず寒からずの気持ちの良い陽気に、観光客の皆さんの足運びも軽やか
です。



あの猛暑がウソのような秋がやってきて、ただいま暑からず寒からずの心地よい陽だまりの中に居ります。
「喉もと過ぎれば暑さを忘れる」、とはよく言ったもので、本当にあんなジリジリと焦げつくような暑さがあったのかしら? 夢だった? みたいな心境です。
でも自然界はそんな生易しいものではありませんね。

私たち人間は暑いといえばクーラー、寒いければストーブに頼ってその季節をなんとかやり過ごしますが、人間以外の生きものは苛酷な条件に生身を晒しているわけで、たいへんです。
先月のブログで見ていただいた我が家の隣地の大きなクルミの木。
アメリカシロヒトリにやられて丸裸でしたが、こんなみずみずしい若葉をつけています。

暑さにやられて葉を落とした木々も新芽や若葉をつけて、夏が秋のようであったように今度は秋が春のようです。この間は庭のタラノメ林で新芽を見つけて、さっそく天ぷらにしました。おいしかったけれど・・・でも、なんかヘン。

季節の逆転はあったものの、日々の営みは淡々と繰り返されて、芸術の秋まっさかりです。
表具を趣味にするグループの表具展も開かれています。
先月は一関の「一関表装美術研究会」の表展がありましたし、先週は盛岡で「装友会」と「一文字の会」の表展があり、行ってまいりました。そうそう出かけられませんでしたが、千厩では「匠の祭典」もありましたね。
それぞれの展覧会に出かけると、学ぶところが多くあります。
裂の取り合わせとかは、プロもアマも関係なく感性の問題で、さすが!と勉強なる作品に出合うことができる貴重な機会です。今回もたくさん勉強してきました。
カメラを持っていったのですが、夢中になって写してくるのを忘れました。残念!



9月に入っても一向に衰えない強烈な暑さに閉口していますが、この暑さのせいでアメリカシロヒトリ(毛虫)が大発生。
わが家の周辺ではとんでもないことになっています。

写真は自宅と地続きの西側に立っているクルミの木です。
二階屋の屋根を優に越える高さなので、毎年こんもりと茂った葉が涼しい日陰を作ってくれていました。
ところが先日、10日あまりで葉が食い尽くされてしまいました。

あれよあれよと眺めているうちにこの状態です。
後ろの青々とした稲とミスマッチな、晩秋のような哀れな大木でしょう。

クルミと左隣のウメの木を食い尽くしたシロヒトリは地境なんて関係なし。
新しい葉を求めて四方へ進軍してきました。
隣のお宅とわが家の庭に陣を張り、目下モミジからツゲから、何から何までムシャムシャやってます。
そして食料でもないのに建物の壁にまで張り付いています。
その数たるや、「湧いてくる」という感じです。
暑さの中でぞぞ~~~~っと、しています。

隣のご夫婦とうちとで1日何回も殺虫剤をスプレーし、役場でも殺虫剤を散布しに来てくれましたが、焼け石に水、お手上げです。
「アメリカシロヒトリは無毒で、葉っぱを食われた木も枯れることはない。涼しくなるのを待つだけだ」といわれましたが、
ウジャウジャと這い上がってくる毛虫の大群をじっとやり過ごす気持ちの余裕はありません。
毛虫が退散してくれるのを期待して、一刻も早い秋の気配をまちわびています。



ブログにご訪問くださる皆さま、残暑お見舞い申し上げます。
でも、「残暑」というよりも「暑さ真っ盛り」という感じですね。

冷夏の予想を裏切って、猛暑、炎暑の毎日に、噴き出す汗をぬぐいながら作業をしています。
表具屋にとって汗は大敵。作品や裂地の上にポタッと一滴落とそうものなら、
場合によっては最初からやり直しという大事に至ります。
塩分のある汗は必ずシミとなって残るからです。
なので、汗っかきの夫はタオルを首に巻いたり、おでこにハチマキ状にしたりと大変です。
私は、幸いにも滴るような大汗というのは滅多にかきません。

窓を大きく開けて風通しをよくすればいくらか過ごしやすいのですが、風も大敵です。
なにしろ和紙も裂も少しの風で舞ってしまい、仕事になりません。おまけに糊もすぐに乾燥してしまい、無風状態だと仕事がはかどります。
願わくば、エアコンがほしい・・・
お盆まであと少し。例年だとお盆を過ぎると一気に秋に突入するのですが、今年はどうでしょう。

お盆と言えば、表具の納品のめどに「○月末までに」というのもありますが、
「お彼岸までに」とか「お盆までに」という約束がけっこうあります。
仏表具じゃなくてもです。
彼岸や盆が、まだまだ生活の区切りとなっていることを実感しています。
というわけで、今は表具屋のいわゆる「書き入れ時」で少々忙しく、
暑さと戦いながら製作に追われています。


今日は盛岡の表具グループの皆さんが平泉観光の合間に工房を訪ねてくださいました。
いつもは閑散としている空間が、一挙ににぎやかになりました。

初対面にもかかわらず、まるで旧知の間柄のように話が弾んだのは、
「表具」に向かっている者同士、あうんの呼吸を感じとれるからだと思いました。
みんな同じところで失敗して悩んだり、出来上がったときの嬉しさを
暗黙のうちに共有しているはずだと思うと、その心安さが垣根を取り払ってしまうのでしょう。

熱心な質問にきちんと答えられたか、はなはだ疑問の残るところであります。
ああ言えばよかった。こう説明すればよかった。あれもこれもお見せすればよかった・・・
などなど、思い返すと後の祭りのことばかり。
これに懲りず、またお出でいただきたいものです。
もっと勉強しておきま~す。


先月、仏表具の製作過程をご紹介して最後に、風帯の話はまたあとで、と結びました。
ブログを読んでくださっている方々がその続きを待っておられるとはとても思えませんが、予告したものですからお付き合いください。
 
さて、風帯とは、掛け軸の一番上から下がっている2本の帯状の裂のことです。
私には凧の足のように見えるのですが・・・  
ふつう
一文字と同じ裂を使います。
垂れ下がった先端の左右には小さな房(露といいます)がついています。

 

風帯の名の由来は、文字通り「風の帯」です。

かつて中国では掛け軸を中庭で鑑賞するという習慣があったそうで、ツバメを追い払うために
風にたなびく細い紙を張りつけた、それが風帯の始まりと聞いたことがあります。
大事な書画にフンをかけられては困りますが、効果のほどはどうだったのでしょうか。
 
おもしろいことに、中国発祥の風帯が現代の中国表具にはついていません。
そして私たち日本の表具師も、漢詩や南画など中国的な作品、それから半切判の長い書画には文人表具(見切仕立や明朝仕立)をするので風帯はつけません。
つけるのは仏表具とごくごく日本的な作品を表具するときの三段本仕立(大和表具)です。
どこでそういうことになっていったのかはわかりませんが、不思議な気がします。
 
ところでこの風帯、しまうときには上の方できちんと畳んで最後に本体と一緒に巻くのですが、延ばしたままクルクルと巻き込む人がいます。
次に掛けようとすると風帯は巻き癖がついて本体に添わず、ひょんと手前に跳ね上がって、
凧の足よりもタコやイカの足のように見えます。
落ち着くまでに時間がかかりますので、どうか風帯付きの掛け軸をしまうときはお気をつけくださいね。


年の春は天候不順な日々が続いて、冬の延長のような寒さにふるえたものでした。
つい最近になってストーブやコタツを片付けた我が家です。
自然界もちぢこまっていたとみえ、山菜も花もは例年にくらべて大幅に遅れていましたが、このところ、あちこちからバラの花便りが届くようになりました。
金曜は一関、今日は平泉と、友人たちが丹精込めて育てたバラを見物にいきました。

今日おじゃましたのは中尊寺の一院のお庭です。
写真の右上にお堂の屋根が見えるでしょ。
このお堂は本堂から金色堂へと続く参道に面していますから、表はしっとりとした日本情緒たっぷりのロケーションです。参拝客もたえず行き来しています。

ですがお堂とお札所の裏に回ると、華やかなローズ&ハーブガーデンが広がっていて、この落差が私にはとっても愉快です。ジキタリスとかルピナスとか、とりどりの花も目を楽しませてくれます。アーチに寄り添って葉を広げ、たくさんのつぼみをつけたバラはこれからが最盛期といったところ。
ここに立つといつも、子どものころ好きだったバーネットの「ひみつの花園」を思い出して、つい顔がほころんでしまいます。



カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
リンク
カテゴリー
最新記事
プロフィール
HN:
こがさか楓林堂
性別:
非公開
職業:
表具師
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]